※注意 現在、不要不急の外出、県外への移動の自粛中です
撮影には、人、場所、時間帯などを考慮し行っています
今回の記事は、戦争に関する内容となっております
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日本は世界で唯一、計画的な戦略攻撃による核被爆国
アメリカ軍は
昭和20年(1945年)
8月6日 午前8時15分 広島にウラン型原子爆弾投下
8月9日 午前11時2分 長崎にプルトニウム型原子爆弾投下
その約2週間前から、日本上空では原子爆弾を投下する訓練が行われていた
使用されたのは模擬原子爆弾、通称パンプキン
7月20日から8月14日、18都道府県30都市に49発が投下される
全体で死者約400名、負傷者1300名超
戦争であれば訓練で人を殺せるという事実
ポール・ティベッツ将軍は模擬原子爆弾による訓練は非常に有効だった、よい訓練になったと後年語っている
ねえ、本当にこの草むらの中を歩いて行くの?
そうだよ、下に降りれば少し開けた場所があるはずだから
終戦の前日、昭和20年(1945年)8月14日
この地に3発の模擬原子爆弾が投下される
1発目 14時53分投下
2発目 14時58分投下
3発目 15時01分投下
今回訪れた場所は、2発目の着弾地点
少し休憩しよ
休憩したいけど早めに撮影しないとね
場所はこの辺なんだよねぇ?
う~ん、証言と地図を見ると・・・ん!?・・・橋の向こうの対岸?
この時、着弾地点は橋の向こうの対岸という事に気付く・・・
75年前の今日、橋の向こうに爆弾が・・・
今日は無理だけど、また日を改めて着弾地点を見つけに行かないとね
全国にある模擬原子爆弾の着弾地点、石碑などが建てられている所もありますが
何も無く、時代の流れの中、そこに模擬原子爆弾が着弾した事が忘れ去られた場所もあります
終戦後、残った66発の模擬原子爆弾は海中に投棄されたそうです
明日は終戦記念日ですね
これからも日本の平和が続きますように、そして世界に平和が訪れますように
それでは今日はこの辺で
- 2020/08/14(金) 20:42:45|
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注意!今回の記事は戦争に関する内容になっています。
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ゴールデンウィークに入りましたね。
先月の29日は昭和の日でした。
昭和生まれのぬばたまが子供の頃は天皇誕生日でした。
そして毎年4月29日には慰霊祭が行われる場所があります。
過去に記事にしたあの場所です。
これなんて読むの?
じゅんこくななしびょうって読むんだよ
この殉国七士廟の字は第56・57代内閣総理大臣である岸信介が書いたものだそうです。
そしてここにはいわゆるA級戦犯といわれる7名の墓碑があります。
A級って事は凄い悪い人なの?
A・B・Cっていうのは罪の重さじゃなくて種類のことだよ
今日は慰霊祭も何もないのであまり人がいません。
これはなに?
これは飛行機のエンジンだよ
三菱製四式重爆撃機「飛龍」(キ67)の空冷複列星型18気筒エンジンと説明版に書いてありました。
ここには他にもいろいろな部隊の慰霊碑があります。
人間はどうして戦争するの?
本当はみんな戦争なんてしたくないと思ってるんだよ、極一部の人を除いてはね・・・ごめん答えになってないね
ここから少し離れた所にはB・C級死刑戦犯の碑があります。
凄い寂しい所だね
ここにはほとんど人が来ないからね
こちらは慰霊祭なども行われず荒れ果てています。
過去にはこの近くに昭和神宮を建てる計画もありましたが、いつの間にかその話も無くなってしまいました。
他にもまた少し離れた所にフィリピン方面での戦没者を祀る碑が多くある場所があります。
そちらの方はまた機会があれば記事にします。
ところで実はこの山はぬばたまが初めてえあとお出かけした場所なんです。
展望台から見る景色がとても綺麗で夜は夜景も楽しめます。
冬には小規模ながらイルミネーションがあったり、6月ごろにはアジサイが綺麗です。
そしていろいろと考えさせられる場所でもあります。
えあを連れてよく来る場所なのでいろんな思い出があります。
こうして思い出が作れるのも日本が平和だからですよね。
この平和がいつまでも続きますように。
それでは今日はこの辺で。
- 2015/05/01(金) 20:17:17|
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もう八月も終わりですね。
少しづつ秋が近づいていますが、そんな中麦わら帽子を被ってお出かけしてきました。
まずは海岸沿いの風力発電の風車の前で。
曇ってきたよ
帽子いらなかったかなぁ
せっかくのお出かけなのに曇りなんて・・・
花火大会といい今回のお出かけといい何故か天気が良くない。
まぁ、雨に降られるよりはいいですよね。
さぁ、ここから少し車で移動します。
あっちの崖にいってみようよ
が、崖か~
凄~い!高~い!
危ないからもう戻っておいで
万が一えあが落ちたら大変なので次へ行きましょう。
南の島みたいだね
南の島かぁ~行ってみたいね
この近くに島〇藤村の椰子の実の歌碑があって、その前で写真を撮ったんですが・・・
歌碑にカメラを構えるぬばたまの姿が写り込んでしまったので、ブログでは公開出来ない写真となってしまいました(笑)
ここから道を進んで奥に向かいます。
さっきまでいた崖が見えるよ
あ、本当だ
写真では分かり難いですが、真ん中より少し左辺りの飛び出た部分がさっきまでいた崖です。
そしてこの写真の左側には
これは何?
昔の建物の跡だよ
この場所は旧日本海軍の機雷封鎖監視所の跡です。
あ、別に艦これが流行ってるからってここに来た訳ではではないですよ。
- 2014/08/28(木) 00:30:11|
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注意今回は戦争に関する記事となっております。
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前回アジサイを見に行った記事を書きましたが、これには続きがありまして・・・
実はこの場所には戦没者を祀る多くの碑が建てられています。
毎年4月には全国から各部隊の関係者が集まり慰霊祭が行われます。
正直えあをこのような場所に連れてくるのはどうかと思いましたが、ここには軍馬や軍犬、軍鳩の
供養塔などもあるように、戦争による犠牲者は人間だけではありません。
そう、その中には人形たちも・・・
・・・・・・・・・・
・・・いきなり連れて来られても困っちゃうよね・・・
誰のお墓かはあえて説明しません。
そうそう、人形の話でしたね。
花嫁人形は某テレビ番組で取り上げられた事で有名になりましたね。
青い目の人形は友情人形として米国からパスポートや着替えなどと共に日本に贈られました。
日本からは答礼人形としてパスポートと共に箪笥や長持、鏡台や針箱やなどのお道具が添えられた
市松人形が贈られたそうです。
その後、日米開戦により青い目の人形は敵国の人形として、竹槍の的にされたり火あぶりにされたり
全生徒約400人がひとりひとり人形を蹴り飛ばしたという話もあります。
お人形さんたちは何も悪くないのに・・・
えあに言うとおりだね
戦時中、「人形には罪は無い」と密かに隠した人たちもいたようです。
米国から贈られた1万2739体の人形の中、334体がこの様な人たちのおかげで現存しています。
日本から送った答礼人形は58体中47体が現存しています。
そして今では各自治体や小学校で人形の交流が再開されています。
今度はみんな幸せになれるよね
大丈夫、きっと幸せになれるよ
無事だった334体の青い目の人形と47体の答礼人形、そして新たに交流する人形たちが、今後いつまでも
幸せでいられる事を願っています。
ねえ、もう帰ろ
うん、そうだね
今日は平和ボケしたぬばたまの独り言でした。
- 2014/07/20(日) 00:11:20|
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