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えあとあれこれ

52万柱

※注意!
  今回の記事は戦争に関する内容となっております。
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                  もうみんな帰っちゃったの?

うん、遠くから来てる人もいるからね

これは先月のお話です、ここで毎年4月の第一日曜日に行われる例大祭。

この日はフィリピン方面での戦没者の遺族や部隊関係者が全国各地から集まります。

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               参加者の中に軍服を着てる人がいたね

あの人たちは当時戦争でフィリピンに行った人たちだよ

当時の軍服を着て肩から水筒を下げ、戦友の慰霊にやってきます。

元兵士の方たちはご高齢ということもあり、毎年参加される人が減っています、今年は5名。

遺族の高齢化などもあり、例大祭は来年で最後になるそうです。

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                     これが比島観音

フィリピン方面で戦没された52万の霊を供養するために建立されたんだよ

この観音様の像内にはルソン島サラクサク峠での戦闘の戦没者の鉄兜を鋳込み

頭の飾りには比島11の島々が彫ってあります。

台座と造園はすべて戦友の手で造成され、台座下の納骨堂には戦没者の英霊簿と遺品が納められています。

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                  これだけ他の慰霊碑と違うね

木柱の上に載せられた鉄兜、凄い存在感だね

この地にフィリピン方面の戦没者慰霊碑が多く建てられたのは、山頂から見える景色がフィリピンの

リンガエン湾に似ているというのも理由の一つだそうです。

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           戦争に行った兵隊さんもこんな景色を見てたのかなぁ

そうだね、この景色が戦没者の鎮魂になるといいね

それでは今日はこの辺で。

  1. 2017/05/16(火) 16:23:53|
  2. お出かけ
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葵の御紋

今回のお出かけは公園です。

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                   公園なのにブランコも滑り台も無いよ

遊具は無いけど、ここには貴重な土塁があるんだよ

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                          土塁って何?

敵の侵入を防ぐ為の土製の壁の事だよ、ほら、えあの後ろにあるのがそれだよ

ここの土塁は室町時代の貴重な遺構なんですが、えあは土塁よりも池が気になるようで

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                    見て見て、赤い鯉さんがいるよ

赤い色はえあの目と同じだね

えあと桜と鯉を1枚の写真に収めようといろいろ頑張ってみたんですが・・・

ここに写真が無いという事は・・・そういう事です

あ、そうそう、ここには土塁以外にも有名なものがあるんです

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                    「葵の紋」発祥ゆかりの地だよ

「葵の紋」といえば徳川家の家紋だね

享禄2年(1529年)、徳川家康の祖父、松平清康は三河統一のため吉田城を攻める。

この時、先陣をきり吉田城を攻め落としたのが伊奈城主、本多正忠

正忠は清康を伊奈城へ迎え祝宴を開き、城内の花ヶ池から採った水葵の葉を敷いて酒の肴を出したところ

清康は大そう喜び

「立葵は正忠の家の家紋なり、この度の戦に正忠最初から味方となり、勝ち戦して吉例なり賜らんと仰せありて」

本多家の立葵紋を望み求めました。

正忠はこれを承諾し、それ以降、立葵紋は松平清康の家紋となり、その後、徳川家康の代に三つ葉葵紋になる。

ここに出てくる花ヶ池が、現在は整備されて公園になっているという事なので見に行く事に

う~ん・・・近くにあるはずなんだけど・・・案内看板も無く迷った挙句に何とか到着

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                   え!?公園ってこれだけなの・・・

う、うん、そうみたいだね・・・あ、ほら、奥にあるのが花ヶ池だよ

各地にある観光地や名所に行ってみると、あれ?思ってたのと違うって事もありますが

まあでもそれはそれで面白いかなぁと思います。

ちなみにぬばたまは変わり者なので、がっかり名所や珍スポット結構好きなんですよね。

それでは今日はこの辺で

  1. 2017/04/30(日) 09:01:47|
  2. お出かけ
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滑走台と格納壕

※注意!
   今回の記事は戦争に関する内容となっております。
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目の前に広がる海、ここは戦前から水上機の訓練が行われていた場所

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                       これが滑走台なの?

そうだよ、ここから水上機を海に上げ下ろししていたんだよ

ここの滑走台(通称スベリ、スリップとも言う)は全部で三ヶ所、第一滑走台は幅50m長さ92m

第二滑走台は、幅220m長さ92m、第三滑走台は、幅90m長さ92m、勾配は1/14(傾斜4度)となっています

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                      ここは第三滑走台だよ

奥に見えるのが第二滑走台だね

ここはジェットスキーなどの持ち込みが禁止されています

それなのに夏になると持ち込む人が多い・・・

これが理由で完全立入禁止にならなければいいのですが・・・本当にやめてほしいです

1940年(昭和15年)に連合艦隊司令長官山本五十六が訪れる

1941年(昭和16年)海軍は当時の知多郡河和町古布に海軍基地の建設を計画

用地を買収し集落の人々は山間部へ強制移転させられる

記録によればその際、海軍側からの「買収に同意しない者は非国民である」との発言に対し

住民側から「今の発言を取り消せ」というやり取りがあったという

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                     壊れてる所がいくつもあるよ

戦時中の空襲や戦後に進駐軍に破壊された跡だよ

1943年(昭和18年)6月、整備教育を目的とした「追浜海軍航空隊知多分遺隊」を開設

同年12月に河和海軍航空隊として独立(昭和20年3月に第一河和海軍航空隊に改称)

同じく12月に水上戦闘機の操縦教育を目的とした「小松島海軍航空隊知多分遺隊」開設

1944年(昭和19年)4月、第二河和海軍航空隊として独立する

同年6月、現在遺構として残っている滑走台が完成する

しかし戦況の悪化とガソリン不足により、満足のいく飛行訓練が行えなくなる

アルコール燃料による飛行試験も行われたが実用化には至らず
 
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                海の反対側には駐機場があったんだよね

昔は堤防が無くて駐機場の他に指揮所や格納庫、整備場もあったんだよ

1945年(昭和20年)2月、神風特別攻撃隊を編成「御盾隊」の一員として「河和隊」を名乗る

8月15日未明に特攻出撃命令が出るも終戦のため命令解除

8月21日、河和練兵場にて解散式、軍艦旗を焼却

8月24日、第一、第二河和航空隊員に復員命令、その歴史に幕を閉じる

河和航空基地、最盛時には教育隊に約9000人、実戦部隊に約3000人の人員がおり

水上観測機や水上偵察機、二式水上戦闘機、水上戦闘機「強風」など約90機を保有していた。

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               これは何?網が張ってあって中に入れないよ

これは水上特攻兵器「震洋」の格納壕だよ

格納壕は幅2.9m、高さ2.4m、長さ10m、土砂が崩れ落ちる前は長さが20mあったそうです。

当時、横須賀鎮守府第4特攻戦隊第13突撃隊所属第60震洋隊大澤部隊が配属予定でしたが

部隊未配備のまま終戦を迎えました。

「震洋」とは、トラックのエンジンを積んだベニヤ板製のモーターボート、250kgの炸薬を積み

敵艦に体当たりする特攻兵器です。  

敵艦を撃沈して太平洋を震撼させる故に「震洋」 

この格納壕は第一河和海軍航空隊により建設されたものです。

現在は1つしか残っておらず中にも入れませんが、滑走台と共にこの格納壕も戦争の語り部として

末永く保存されることを願っています。

それでは今日はこの辺で。

  1. 2017/03/30(木) 15:04:05|
  2. お出かけ
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第3の選択肢

仕事が終わって夕方からえあとお出かけ

明日も朝から仕事なので短めのドライブです

そして目的地に選んだのは某駅前にある自動販売機

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               もしかして今日は飲み物を買って終わりなの?

うん、まあ買って終わりと言われればそうなんだけど・・・

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                 やっぱり寒いときは温かいのがいいよね

それはそうなんだけど今日はそれじゃないんだ

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                   え~もしかして冷たいのにするの~

いや、それでもなくて、ほら、その右の方にある

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                   ぬ、ぬる~い・・・こんなのあるんだ

さあ、ぬる~いのの中で好きなの買ってあげるよ

えあのような小さい子にはぬる~いほうが安心ですよね

まあでも女の子が熱いのをフーフーしてる姿もかわいいんですけどね

それでは今日はこの辺で

  1. 2017/03/10(金) 22:46:47|
  2. お出かけ
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弱体化を狙う

風光明媚な千本松原の景色

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                  千本松原の横を大きな川が流れてるよ

尾張(愛知)、美濃(岐阜)、伊勢(三重)を流れる木曽川・揖斐川・長良川、いわゆる木曽三川だね

宝暦3年(1753年)幕府より薩摩藩に治水工事の命が出る。

その内容は、工事費用の全額負担と労働力としての藩士の派遣。

翌年の宝暦4年(1754年)家老の平田靱負は総勢947名の藩士を引き連れ薩摩を出発。

現地では藩士は一ヶ所にまとまる事を禁じられ、食事は一汁一菜、酒と魚は禁止

物品は全て幕府指定のものしか買えず、価格も高かったという

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       御祭神は平田靱負正輔大人命(ヒラタユキエマサスケウシノミコト)だよ

家老の平田靱負が祀られてるんだね

工事開始直後から幕府の嫌がらせが始まる、藩士への罵倒や完了した工事のやり直しなど

屈辱に耐え切れず50名以上の藩士が腹を切るが、幕府への批判ととられるのを恐れ

全て「腰のもの」による事故死として報告された。

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                 境内には治水工事の説明版があるよ

小さい子にも分かり易いように書いてあるね

宝暦5年(1755年)40万両以上の費用と80名以上の犠牲者を出し工事は完了

平田靱負は多大なる費用と多くの犠牲者を出した責任を取り割腹

薩摩藩士が命懸けで行った工事も美濃(岐阜)と伊勢(三重)では知られているが

尾張(愛知)ではほとんど知られていません。

それは尾張(愛知)には徳川御三家の一つである尾張徳川家があった為

江戸時代初期には御囲い堤があり大水から守られていたから

そういえば千本松原の日向松も全て薩摩から運んできたものだそうです。

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                    松の赤ちゃんがいっぱいだよ

薩摩から来た松の二世だね

約250年前に運ばれてきた松は今も大切にされています。

それでは今日はこの辺で。

  1. 2017/02/24(金) 23:13:01|
  2. お出かけ
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